きっかけは、たまたまYouTubeで流れてきた一本の予告編だった。合唱する、どこかカルトめいた信者たち。子どもがベルトで鞭打たれる場面。それは、宗教2世として育った筆者自身の記憶と、否応なく重なった。当時の光景がフラッシュバックする。それでも——いや、だからこそ、この映画が頭から離れなくなっていた。
そんなとき、オンラインコミュニティ「ビジュツヘンシュウブ。」が主催した、映画『炎上』の”リアル副音声上映会”の告知を見かけた。本編を観ながら、長久允監督本人の語りを生で聴けるという特別な上映だ。迷わず、参加を申し込んだ。
2026年6月9日、シアターギルド代官山にて開催された本上映会。スクリーンに繰り広げられる主人公の生き様と、監督の声が同時に流れてくる。シーンの解説や裏話だけでなく、意図や込めた思い。いわば、作り手の頭の中をのぞき込むような時間。語られたのは、そこで生きる子どもたちへのまなざしそのものだった。

当事者ではない自分に、何ができるのか
『炎上』は、カルト宗教を信じる両親のもとで育った少女・じゅじゅ(森七菜)が家を飛び出し、歌舞伎町にたどり着き、そこで生きた日々を描いた作品である。長久監督は5年をかけて当事者たちに取材を重ね、この物語を立ち上げてきたという。
副音声でまず監督が口にしたのは、作り手としての葛藤だった。
「当事者じゃない人間が、彼らを利用してエンターテインメントにしている、消費している、搾取している——そういう見方はもちろんあって、その通りなんです」
そう率直に認めたうえで、監督は続ける。「本人になって、その痛みをトレースすることはできない。それでも、僕がやれることはこれしかないので」。映画を作ることが、自分にできる精一杯だった、と。
その迷いに一つの答えをくれたのが、当事者の若者たちの反応だった。外から観た人には「消費だ」「違和感がある」と言われることもある。けれど、実際にトー横にいる子たちの多くが、「根本の気持ちも、起きている出来事も、本当にリアルだよね」と受け取ってくれたという。「その上で、僕が手渡したい気持ちを受け取ってもらえている感覚がすごくあって」。冒頭、バラバラの背景を持つ子どもたちが次々に映る場面を、ある男の子が「全員が肯定的に描かれている」と感じてくれたことが、監督にはとりわけ嬉しかったそうだ。
カラフルな画面は、彼ら彼女たちの「才能」
『炎上』を観てまず驚くのは、過酷なテーマに反し、意外なほどポップでカラフルな映像である。これは監督の作風というより、取材で出会った子どもたちから受け取ったものだと語られた。
「彼ら彼女たちは、キラキラしたものを見つける才能がめちゃくちゃあるんです」
普通の学生から見ればなんでもない場所に、彼らはカラフルで光るものを見出す。その目線が、そのまま画面のトーンになっている。カメラマンと緻密に話し合いながら作り上げたという。
象徴的なのが、地面のアスファルトがキラキラ光る俯瞰のカットだ。「光はVFXを使っていなくて、撮ったままなんです」。スピード抑制用のアスファルトのラメに、さらに小道具のラメを重ね、光を動かしながら撮影した。監督自身が地面に寝転がる癖があり、その光を「なんて美しいんだろう」と感じたこと、そして「それをキラキラだと思えるところで生きている人たちがいる」という気づきが、出発点になっていた。

痛みを「魅力的に描かない」という倫理
一方で、監督が強く意識したのは、過酷な現実を”良く”描きすぎないことだった。一人の登場人物がビルから飛び降りるシーン。ロケハンでは、より情緒的でドラマチックになりそうな屋上やビルもあったという。しかし——。
「自殺という行為を、魅力的に描いてはいけないと思って」
選んだのは、なるべくミニマムな画づくりだった。「事実だけを。それが正義かなと判断した」。あえて画面にノイズを入れる処理も施されていた。エモーショナルに振り切らず、距離を保つ。その抑制が、かえって作品の誠実さになっていた。
撮影現場での配慮も語られた。子役の出演者たちには、暴力も大きな声も聞かせないように。「暴力のシーンでも、現場では実は大声を出していないんです」。安全に気を配りながら作れた、という言葉に、テーマと向き合う姿勢がにじむ。
じゅじゅの目で、距離を取って生き延びる
物語はじゅじゅの主観で進み、彼女の見ている世界は、あえて手持ちのカメラで撮られている。「この映画は、じゅじゅの個人的な夢や感覚や想像が、実は四割五割を占めている」。実録のようでいて、きわめて主観的で、限られた時間の物語。だからこそ尊いのだ、と監督は言う。
語りのなかで印象的だったのは、取材を通して学んだという”生き延び方”だった。過酷さを真に受けて対峙していたら、やっていけない。だから距離を取り、自分を軽薄に客観視し、遠く離れた他人事のように自分の人生を眺める——。「その距離の取り方で生き延びていく。それを、彼ら彼女たちから学んだんです」

なぜ、宗教2世だったのか
トー横に流れ着く子どもたちの背景は、本来さまざまだ。そのなかで、なぜじゅじゅの出発点を「宗教2世」に置いたのか。冒頭に記したとおり、筆者にとっては他人事ではない問いだった。意を決して、監督に尋ねた。
監督の答えは、取材で聞いた実体験のエピソードから始まった。「一個の象徴にしてしまっているところはある」と断りつつ、その根にあるのは揺るがない確信だった。
「とにかく、ティーンエイジャーは、ここに出てくる子、全員本当に悪くないと思っていて。あなたは悪くない、と。悪いのは大人だと。語弊があるかもしれないけど、ダイレクトに言うと、そう思っているんです」
聞いた実エピソードと、その思いが重なったとき、どうしてもそれを映画に託したかったのだという。宗教2世という設定は、「あなたの意思ではなく、生まれ育った環境でそうせざるを得なかった」ことを、まっすぐ伝えるための象徴でもあった。
たまたま親がその信仰のなかにいたから、子もまた自然にそうなっていく——。監督の言葉は、筆者自身の来し方にも静かに触れた。生まれた環境が違っていれば、別の生き方もあったのだろう。その実感の上で、スクリーンのじゅじゅは、もはや遠い誰かではなかった。

まとめ
副音声という形式は、完成した映画の”裏側”を見せるものだと思っていた。けれど長久監督が語っていたのは、技術や裏話よりもむしろ、画面の向こうにいる一人ひとりへの祈りに近いものだった。キラキラを見つける才能と、その裏にある痛み。当事者になりきれない自分への正直さ。「あなたは悪くない」という、ただひとつ手渡したかった言葉。様々なバックグラウンドを持ち、どう生きていけばいいかわからない子どもたち。その一人ひとりに、監督の思いが届くことを、筆者も祈っている。
Profile:長久允 / Makoto Nagahisa

映画監督・脚本家。1984年、東京都生まれ。青山学院大学フランス文学科を卒業後、広告代理店に入社し、CMプランナーとして活躍。会社に在籍しながら映画を撮る”サラリーマン監督”として知られる。2017年公開の短編『そうして私たちはプールに金魚を、』が、第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門で日本映画初のグランプリを受賞。続く2019年の長編デビュー作『WE ARE LITTLE ZOMBIES』も、第35回サンダンス映画祭で日本映画初となる審査員特別賞(オリジナリティ賞)に輝き、ベルリン国際映画祭でも高い評価を得た。感情を失った、あるいはこぼせない子どもたちのまなざしを、一貫して見つめてきた作家である。5年がかりの取材を重ねた最新作『炎上』(2026年)は、第42回サンダンス映画祭「NEXT」部門にノミネートされた。
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Writer & Photographer:新居 祐介
京都出身。ビジネスプロデューサー。東京を拠点として、写真や音楽制作を行うと共に、IT・広告・写真関連の会社のマネジメントや経営者を歴任。 プロデューサーとして著名メディアアーティストの大規模写真展及び写真集・作品販売のプロデュースや、写真コンテンツを活用した各種新規事業・イベント・企業タイアップ等のプロデュースを行う一方、フォトグラファーとして、各種Webメディアでの著名人・文化人の撮影や企業イベント取材等の撮影を行う。
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