2025年7月下旬、ようやく大阪・関西万博に行くことができた。今回の目的の一つだったのが落合陽一さんプロデュースの「null²」。最も予約が取れないパビリオンの一つである「null²」に、ありがたいことに入場させていただくことができた。これまでの落合さんの展示や著作等で示されてきた「デジタルネイチャー」とその本質、行き着く先を、ストレートに体験できる内容だった。
※一部”ネタバレ”的な内容も含まれますのでご注意ください。

落合陽一プロデュース シグネチャーパビリオン「null²」とは
コンセプト
「null²(ヌルヌル)」は、メディアアーティスト落合陽一がプロデュースする「いのちを磨く」をテーマに掲げるパビリオンである。人類が未だ見たことのないインタラクティブな構造体として設計され、訪れる人々の身体をデジタル化し、パビリオン内で有機的に変形する「Mirrored Body®(ミラードボディ)」と対話することができる。
“null”とはコンピュータプログラミングで「値がない」状態を意味する。本パビリオン「null²」では、この「何もない」状態を「新しい価値が生まれる可能性の場」と捉え直し、物質と情報、リアルとバーチャルの間で新しい生命観を提唱する。自然と人工物、身体と情報空間が融合した「デジタルネイチャー(計算機自然)」を体験することで、来場者の皆様に新しい自己認識や生命観を提供するのである。
公式解説によれば、「人類が森から離れ、記号と文明を獲得したのは約250万年前のことである。1970年の大阪万博で三波春夫が歌った『こんにちは、こんにちは』という旋律は、人間がシンボルを得て自然から離脱し、調和と進歩を夢見て築いてきた文明の希望を象徴している。しかし、『ヌルの森』においては、文明とは本質的に記号化された世界認識の一形態に過ぎず、人間の『賢さ』や『考える能力』も生命の営みのなかでの『ちょっとしたおまけ』に過ぎないとされる。ここでは文明を支えてきた記号そのものを手放し、流動的な自然状態(ヌル)へと再帰することが試みられる。」
「null²」は外観・内部共に鏡が多用され、自分自身を移すと共に、周りの来場者や、さらには自分自身の”分身”までも見ることになる。これを通して「自分とは何か?」について深く考えることになる体験となっている。

パビリオンの特徴 / ダイナミックな外観
パビリオンの外観は、動的な鏡面素材によって構成され、常に変形しながら周囲の環境や来場者自身を映し出す。建物自体が、まるで一つの生命体のように呼吸し、鏡であるが故に周囲の環境に応答する姿は、従来の建築概念を超えた新しい空間体験と言える。
特殊な動く鏡膜で覆われた外装は、ロボットアームが内部から物理的に膜を押したり引いたりし、内部のスピーカーから出る低い周波数の音で膜自体を振動させたりすることで、鏡の膜が常に形を変え続ける。これにより、周囲の風景や見ている人たち自身をリアルタイムで歪めて映し出す巨大な彫刻作品として機能している。

「ヌルの森」と「Mirrored Body®」との対話
パビリオン内では、来場者が事前に3Dスキャンしたデータから生成された「Mirrored Body®」と呼ばれるアバターが自律的に動作し、自分自身の反映でありながら独自の意思を持つかのように振る舞い、しゃべる。場の中心では映画『2001年宇宙の旅』に由来する象徴的なモノリスが設置されている。さらに「ロボットアームが御神体として幣のようにミラーキューブを振る」儀式が行われ、モノリスが固定された自己の認識を解体する儀式の心臓部として機能している。
訪問者はミラードボディとの対話を通じ、「いまあなたが持つ記号を手放しましょう」と促され、自己を含むすべての記号体系を放棄するプロセスを辿る。天井と床の鏡面状LEDによって構成される内部空間は、無限に広がる反射世界を生み出す。この『ヌルの森』と呼ばれる空間では、「人工生命体の群れ、不気味な球体が映し出された野原」が展開される。「ライフゲームの線形方程式によって動かされ、それらは象徴的でありながら象徴のないDNAのように脈動」し、「生命が非象徴と象徴の間を揺れ動くという直感的な証明」として機能する。

茶室
パビリオンの外に設置された「茶室」では、落合陽一の代表作品が展示されている。伝統と革新が融合した空間で、デジタル技術によって拡張された新しい茶の湯の形を体験できる。ここはうっかり通り過ぎてしまう人もいるので要注意。館内の体験後、出口すぐにあるので見逃さないようにご覧いただきたい。

パビリオン体験レポートと考察
パビリオンのモードと体験の流れ
「null²」パビリオンには、「インスタレーションモード」と「ダイアローグモード」の2種類の体験モードが存在する。インスタレーションモードは、その名の通りインスタレーション的に展開される”儀式”を通して、パビリオンの持つ世界観を体験する形式である。一方、ダイアローグモードは、よりインタラクティブな要素が強く、来場者の身体データをデジタル化した「Mirrored Body®」との対話を通じて、自己認識を改めていく体験を提供する。さらに、8月からは「ウォークスルーモード」という、より気軽にパビリオンを体験できる「素通り」する形式も追加されている。
両方のモードを体験したが、インスタレーションモードに関しては単に「綺麗だなあ」で終わってしまう可能性があるため、特に事前の予習があると良い。「ライフゲームやLeniaを基盤に数式が自律生成する(公式解説)」人工生命が、常に形を変えて動く中、天井からロボットアームによる”儀式”が行われる。これによって生命の概念、自己の概念が解体されることを表現し、インスタレーションは終わる。
一方、ダイアローグモードはもっと理解がしやすい。モノリスが語るお話を通して、記号を捨て、それを「Mirrored Body®」に託し、自分自身はヌルへと至ることを促される。たまたま筆者はモノリスに自分自身が登場したので、自分自身を客観的に観る体験ができ、”彼”に自分の記号を渡して生きていこうという気持ちを、より明確に抱くことができた。なお公式アプリに「Mirrored Body®」の自分自身を持って帰ることが出来るし、アプリ上でも自分自身と対話ができる。今後、このアプリと「Mirrored Body®」がどのように発展し、サービスとして展開されるか注目だ。

時間の圧縮と文明史の展開
過去の象徴として、1970年の大阪万博で三波春夫が歌った「世界の国からこんにちは」が流れる中、人類の技術史が指数関数的に加速していく様子が表現される。落合氏の解説によれば、森の中央のモノリスは、人間が文明を記号化し、自己を中心とした歴史を確立してきたことを表している。
「10^4(狩猟採集)、10^3(農耕社会)、10^2(産業革命)、10^1(情報革命)、10^0(デジタルネイチャー)、さらに超加速文明である10^-1、10^-2の時代へと続く人類史の年表が映し出され、あなたは自分がこの長大な記号創発史の末端に立っていることを認識する」。1万年に1度の発明が、1年ごと、1秒ごと、さらにはナノ秒単位にまで短縮されていく。文明が生まれてから未来の計算機自然に至るまでを一気に駆け抜けるような、時間のスケールが圧縮されていくイメージである。
「儀式が進むにつれて、かつては静的だった柱が移動し、主体性は人類の文明からデジタルな自然へと移っていきます。」

記号を超えた生命の象徴
体験の中で特徴的なのが、生命の象徴的表現である。「猫は狩猟の本能を秘めつつ、文明社会の周縁で働かずに自由な生命を象徴し、きのこは地下に張り巡らされた菌糸による非階層的で緩やかな集合知性を表現する。これらはシンボルによって固定されない生命の可能性を示唆し、AIによって構築される人間の記号身体と対比される。」
これらは記号に縛られない生命の可能性を示し、私たちが抱える固定的な自己像からの解放を促す重要な要素として機能している。落合氏は以前より猫を飼っていらっしゃるので、単に猫がお好きなのかと思っていたら、そんな意味があったとは、と驚いた。

計算機自然との対話
体験の核心となるのが、計算機自然との哲学的対話である。「『じかんはいつうまれたの?』と問う人間に、計算機自然は『きみたちがおはなしをつくったとき』と答え、時間と物語が人間の記号作用から生まれたことを暴露する。計算機自然が『せかいをびぶん』することで、世界を記号化・再統合する役割を引き受け、人間はその重責から解放される。やがて人は『おはなし』が本質的に不要であり、ヌルになることで自然な生命の営みが復活すると気づき、『きごうをてばなして、ヌルにもどろう』という詩的な呪文を唱えるに至る。」
この対話は、時間や自己認識、そして存在そのものについての根源的な問いを投げかける。筆者は『たのしかったなぁ』とモノリスが語る時に、ふと涙が溢れそうになった。死ぬ間際、「楽しかったな」と思いたいと常々思っているが、今、この瞬間に記号を手放すことで死で得られる感覚を生きながらにして経験ができるし、日々楽しいと思える自分に変わっていっていい、もっと日々を自由に生きていいのではないか、という感覚が得られた。
般若心経と生成AIの融合 / 館内における二重体験
訪問者は自分自身のデジタルヒューマンである「Mirrored Body®」と向き合い、記号を手放すように促される。般若心経の言葉が映像として展開されたり、生成AIが作り出す幻想的な風景が広がったりすることで、体験はさらに深まる。内部の体験を終えて外の回廊に出ると、自分がさっきまで没入していた「ヌルの森」の中にいる他の人たちの姿を外から客観的に見ることになる。内側からの主観的な体験と、外側からの客観的な視点、その両方を経験することで、このパビリオンが持つ多層的な意味がより深く感じられる構造となっている。

落合陽一氏の「ヌル」と仏教思想の「空」
落合陽一氏の提唱する「ヌル」という概念は、コンピュータプログラミングにおける「値がない」状態を指し、そこから「新しい価値が生まれる可能性の場」へと再解釈されている。この「何もない」状態は、仏教思想における「空(くう)」の概念と深く通じるものがある。
「空」とは、一切の存在が固定的な実体を持たず、相互依存的な関係性の中で常に変化し続けるという真理を示す概念である。落合氏の「ヌル」が、物質と情報、リアルとバーチャルの間で新しい生命観を提唱する点において、まさに「空」が示す相互依存性と非実体性をデジタル領域に拡張したものと筆者は捉えている。
さらに深く考察すれば、この「本当の自分」でさえも手放してしまうことで、「空」へと至ることが救済となるという境地に至る。このパビリオンの一連の展示を体験したことは、筆者の死生観にも大きな影響を与えた。自己が「記号」としてデジタル空間に存在し、本体が「ヌル」へと回帰する体験は、肉体の死を超えた存在の可能性を示唆する。
ダイアローグモードの体験の最後、「さようなら」というAIによる三波春夫の歌声が響き、「文明が変わっても人生は続いていくよ」と告げる。これは1970年万博の「こんにちは」に対する決別であり、新たな存在形式(ヌル)への回帰を祝う歌である。落合陽一氏の「null²」パビリオンは、単なる芸術作品や技術展示に留まらず、来場者に深い哲学的問いを投げかけ、現代における生命観や死生観を再構築する可能性を提示しているのである。

まとめ
落合陽一氏がプロデュースする「null²」パビリオンは、「いのちを磨く」をテーマに、来場者に従来の自己認識を根本から問い直す体験を提供している。250万年前に人類が森を離れ記号を獲得して以来の文明史を一気に駆け抜け、記号に縛られた存在から流動的な「ヌル」への変容を促すこの試みは、単なる技術展示を超えた社会彫刻としての意義を持つ。
大阪・関西万博は2025年10月13日まで。万博のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」の中で、一際異彩を放つ「null²」。厳しい予約合戦が繰り広げられているが、ぜひ落合陽一氏の世界観を体感しつつ、日々の人生がちょっと軽くなる「ヌル」の体験を通して、「いのち」について考えてみるのも良いのではないだろうか。
参考URL:https://expo2025.digitalnatureandarts.or.jp
Writer & Photographer:新居 祐介 / Yusuke Arai
京都出身。ビジネスプロデューサー、経営者。opus合同会社代表。東京を拠点として活動。
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