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    私をつくる「人・街・モノ」#4 梶谷健人(戦略アドバイザー)

    梶谷健人(戦略アドバイザー)インタビュー

    今活躍するクリエイターにインタビューする連載企画。数多くのインタビューに答えてきたであろう彼らに、ちょっと違った切り口で迫るべく、本メディアのコンセプトでもある「人」「モノ」「街」という観点を通して、クリエイティブの根源から人となりまで探っていきます。

    第4回は、様々なサービス開発や企業経営の経験を持ち、現在はAIを中心とした先端テクノロジーを活用したサービス開発で企業支援を行っている梶谷健人さんの登場です。

    テクノロジーと共に歩むキャリア

    ――今はどのような活動をされているんですか?

    先端テクノロジーとサービス作りという2つの軸を組み合わせて、企業支援をしています。特に今はAIの発展がすさまじいので、AIの事業活用や組織変革といったテーマに取り組んでいます。単にAIに詳しいだけでなく、これまでのサービス開発や経営の経験を活かして、使い手・作り手としての視点で支援できるのが特徴です。

    実は、ChatGPTやStable Diffusionなど、最新のAIツールが出た時期に、以前の会社を退任して時間があったこともあり、かなり深く触れていました。結果的に周りより詳しくなって、自然と仕事の依頼をいただくようになりました。

    ―― 情報発信も活発にされていますよね

    そうですね。ただ、発信は意図してというより、自分が忘れっぽいので、外部記憶装置として使っているんです。インタビューなどの際に、X(旧Twitter)で自分のつぶやきを検索して、過去の学びや考察を引き出すという使い方をしています。例えばAIエージェントについて話す機会があっても、すぐには思い出せないことも、過去の投稿を見返すことで、自分の考えを整理して話すことができます。

    挫折と海外修行を通して辿り着いたクリエイティブへの情熱

    ―― 最初にお会いした頃はグロースハックの分野で活躍されていましたよね

    はい、VASILY(株式会社VASILY)の頃でしたね。その当時学生でしたが、実はその前に、GMOペイメントゲートウェイで特別なインターンをさせていただいていました。副社長直下で、ウェブマーケティングの予算すべてを任せていただける1年間のプログラムです。これは私で6代目で、初代は現リブセンスの村上さん(株式会社リブセンス 代表取締役社長 村上太一氏)でした。毎年、前任者が次の優秀な学生を選ぶという形で続いていました。予算すべてを任せていただける代わりに、運用をミスすると本気で怒られました。ただ、その分すごく実践的で勉強になりました。

    面白いのは、その前に完全な挫折を経験しているんです。1年生の冬に初めてインターンをしたのですが、Excelも使えない素人で、周りに迷惑をかけてばかり。付いてくれていた内定者社員の方にもイライラされて、最終的に逃げるように辞めました。その悔しさをバネに、次のチャンスでは必死に結果を出そうと頑張りました。

    当時、「起業サークル」というコミュニティにも所属していて、そこには現LayerXの福島さん(グノシー創業者の福島良典氏)や、ナイルの高橋さん(ナイル株式会社 高橋飛翔氏)など、その後起業して成功されている方々がいました。そういった環境で、多くの刺激をいただきました。

    その後、キャリアの大きな転機として、インドとアメリカで武者修行を経験します。元々、次の起業の地として、成長著しい両国に興味があったんです。インドでは急成長中のECスタートアップで、グロース担当としてユーザー継続率を5倍に改善しました。現地のユーザー理解のため、ショッピングモールで見知らぬ人にインタビューをしたのは、今では良い思い出です。

    アメリカでは、「Tradecraft」というブートキャンプに参加しました。AirbnbやUberなど、現地の有力スタートアップのサービスデザイナーから直接学び、午後は実際にスタートアップのコンサルタントとして働くという、濃密な3ヶ月間でした。

    ―― その経験を経て、次に選んだのがXRの分野だったんですね

    そうです。当時、次世代の波として、AIやブロックチェーン、XR、IoTといった選択肢がありました。その中でXRを選んだのは、純粋にOculus Riftを体験した時の感動が大きかったのと、それまでのサービスデザインの経験を活かせると考えたからです。インターフェースが大きく変わる時期というのは、デザインの常識も刷新される。そこに大きな可能性を感じました。

    5年間、様々な企業との共同プロジェクトを通じて、未来のARグラス時代に向けたサービス開発を行ってきました。単なる受託開発ではなく、企業との共同研究や共同サービス開発という形をとることで、自分たちのクリエイティビティも発揮できる形を模索しました。アパレルブランドと共同開発したショッピングプラットフォームで世界的な賞を受賞するなど、手応えのある成果も出せました。

    自由のための起業した父、妥協なきクリエイターとの出会い

    ――クリエイティブな領域に興味を持たれたきっかけについて伺えますか?影響を受けた人や、最初に触れたプロダクトなど、何か印象に残っているものはありますか?

    人の影響で言うと、まず物作りの手前の、自分で物事を切り開いていくという部分は父の影響が大きいですね。私は小学校の頃から起業すると言っていたんです。なぜかというと、私が保育園の頃、父親がサラリーマンを辞めて、1年間国家資格の受験勉強をして独立したんです。子供が小さい中での大きな決断でした。その理由は「昼寝がしたかったから」だそうで、サラリーマン時代に今でいうパワーナップ(Power Nap:昼に15〜30分の短い睡眠を取ることでパフォーマンスが向上するという睡眠法)をしていたら怒られて、「なんてくだらないんだ」と思って、自由な選択をしたいから独立を決意したそうです。幼少期からそれを見ていたので、自分自身で何かをやっていくのは普通のことだと感じていました。

    もう一人、クリエイターとしての意識が明確に芽生えたのは、VASILYの代表の金山さん(現ZOZOテクノロジーズ 代表取締役CINO 金山裕樹氏)との出会いですね。彼は完全なクリエイターで、フジロックにも出場しているアーティストでした。サービス開発でも妥協を許さない方で、建築家ミース・ファン・デル・ローエの『神は細部に宿る』が口癖でした。100%ユーザーの期待に応えて、プラス20%自分のエゴを詰め込むという、クリエイターとしての哲学を持っていた人でした。彼の言葉はすべてメモしていて、今でも見返しています。クリエイターとしての考え方の土台を作ってくれた人ですね。

    ゲームから学んだ客観視、そしてフレームワーク能力

    ――次に「モノ」の観点として、小学生の頃から起業しようと思っていたとのことでしたが、当時遊んでいたゲームとか何か影響を受けたものってあるのでしょうか?

    今気付きましたが、ゲームは確かに影響を受けていますね。現役で東大を落ちているんですが、浪人時代に「このままでは絶対怠ける」とわかっていたので、ドラクエのようなレベル表を作ったんです。勉強時間を記録して、最初はレベルが上がりやすく、だんだん上がりにくくなる設計で。レベル60で合格圏内、80なら余裕で受かるだろうという指標を立てて1年間やりました。その結果、かなり余裕を持って東大に合格できました。

    ――すごいですね!その考え方は今でも活かされているんですか?

    はい。今でも自分をRPGの1キャラクターとして見て、どういう仕組みや装備を与えたら次のステージに行けるのか、常に客観的に考えています。朝が苦手な自分のために友人との朝カフェを予約しておくとか、とにかく仕組みで自分をハックするようにしています。

    これは方向性と量の問題として捉えているんです。物事がうまくいかないのは、努力の方向性が間違っているのか、それとも絶対量が足りていないのか。大体この2つに集約されると考えています。だから失敗した時は、まずこの2つの観点で見直すようにしています。これはビジネスをグロースさせる時も基本的には同じ考え方をしているので、ゲームから自然と考え方が身についたんでしょうね。

    ――人生でもビジネスでも本質を見極める力をすごく持たれているように感じます

    そうですね、抽象化は得意だと思っています。フレームワーク厨なので(笑)。複雑なものをモデル化する、という考え方がすべてに共通しているんだと思います。フレームワークにする時点で、100ある情報うちの20〜30は取りこぼす。でも100をそのまま100のカオスとして見ると手が付けられない。でもフレームワーク化すると、この中から考えればいいんだねという取っ掛かりが出来る。

    それは人生設計でも同様で、人生には気にしないといけないことがいっぱいありますが、レベル表にすることによって、レベルに必要な要素だけを気にすればいいというシンプル化することで、努力を無駄なく向けることが出来るようになるんです。

    ――自分を客観視するために心がけていることはありますか?

    はい。いわゆる”ジャーナリング”といわれるものですが、めちゃくちゃ書きながら自分と対話する、自分を客観視することをほぼ毎日やっています。意外と自分が考えていることって最初は書けないんですよ。なんかモヤモヤするなと思っているだけで、そのモヤモヤが全然言語化できない。でも、毎日そのモヤモヤを言語化しようとしていると、ある日文字になって客観視できるようになる。そうすると対処法が思いつくんです。

    横須賀が育んだグローバル感覚

    ――最後に、影響を受けた「街」、例えば出身地や長く住んだ場所などはありますか?

    そうですね。出身地の横須賀は面白い町で、もう半分海外なんです。米軍基地の前のドブ板通りという、スカジャンとか売っている商店街があるんですが、そこではドルが使える。隣に住んでいたのも米軍将校の家族で、週末は一緒に庭でバーベキューをしていました。当時はあまり英語が話せなかったと思いますが、なんとなく会話ができていました。

    面白いのは、地元のヤンキーでも、気づいたらアメリカに留学していて、帰国後は見識が広がっているような人が珍しくなかったことです。米軍基地の中は完全にアメリカで、毎月アメリカに行けているような感覚でした。祭りの時に基地の中に入ると、そこはもう完全に異国でしたね。

    ――そういう環境で育ったことで、海外に対するハードルが下がったんですね

    はい。英語は後から意図的に勉強しましたが、外国人との会話に対する苦手意識は人より断然少なかったと思います。これは私だけでなく、地元の人たちにも共通していた特徴だと思います。

    新たな挑戦へ

    ――これからはどのような方向性を考えていらっしゃいますか?

    今後は、山口周さんのような独立研究者として、新しい考え方を世の中に提示していくような活動もしてみたいですね。ビジネスパーソンが読むけれども、ビジネス書というよりは、新しい考え方を世の中に提示するような。そういう方向性に惹かれています。

    そして今、小説の執筆に挑戦しているんです。実は創作のための学校に2つ通っていて。これも自分の性格をわかっているからなんですが、1人では絶対に続かないので、毎月課題が出るような学校に通うことで自分を縛っています。

    といっても、まだ苦戦していますが(笑)。でも、今までプロダクト=作品という感覚でやってきて、それはそれで充実していたんですが、もう少し違うチャレンジもしてみたいと思ったんです。プロダクトではない形での作品作り、もうちょっとアート寄りの表現というか。

    ――山口さんもビジネスにおけるアートの重要性・関連性について書かれていますね

    そうなんです。私は金山さんが作品作りとしてプロダクトに向き合っているのを見たことで、プロダクト=作品なんだという感覚を強く持ちました。XRの会社をやっていた時も、その感覚で取り組んでいましたし、今も企業支援という形ではありますが、作品作りに関わっているという感覚でやっています。

    ただ、これからはその表現の幅をもっと広げていきたいんです。小説という形を選んだのは、まだ試行錯誤の段階で、これが最適解かはわかりません。でも、言葉を通じて新しい世界観や考え方を提示できる可能性に惹かれています。だからこそ、ちゃんと基礎から学ぼうと思って、学校にも通い始めました。

    これまでの経験や知見を、プロダクトとは違う形で表現する。テクノロジーの知見を持ちながら、もっと人間的な、アート寄りの表現もできたら。そんなことを考えています。まだまだ修行中ですが、この創作活動も、私なりの作品作りの新しい挑戦として捉えています。

    おわりに

    事業とアート、テクノロジーとクリエイティビティ、日本と海外。梶谷さんの人生には、常に異なる領域の境界線上で生まれる化学反応があります。そしてそれを、RPGのキャラクターのように客観視し、システム化することで、確実に結果へと結びつけてきました。父の独立、横須賀での異文化体験、クリエイターとしての修練。これらの経験や環境すべてが今の梶谷さんを作っていました。

    これから、AIがますます活用される時代を迎え、テクノロジーとクリエイティビティの新しい関係が模索される中、梶谷さんは小説という創作活動に挑戦しています。それは、これまでと同じように、異なる領域を客観的に見つめ、そこから新しい価値を生み出そうとする試みといえるでしょう。その探求の先に、どのような化学反応が起きるのか。今後の活躍が注目されます。


    Profile:梶谷 健人(かじたに けんと)氏

    POSTS代表。生成AIなどの先端テクノロジーに強いプロダクト戦略アドバイザーとして10社以上の顧問に従事。XR Creative Company MESON創業者。著書に「生成AI時代を勝ち抜く事業・組織のつくり方」「いちばんやさしいグロースハックの教本」がある。

    X:https://x.com/kajikent note:https://note.com/kajiken0630

    Interviewer:新居 祐介 / Yusuke Arai 京都出身。ビジネスプロデューサー、経営者。opus合同会社代表。東京を拠点として活動。IT・広告・写真関連の会社のマネジメントや経営者を歴任。プロデューサーとして著名メディアアーティストの大規模写真展及び写真集・作品販売のプロデュースや、写真コンテンツを活用した各種新規事業・イベント・企業タイアップ等のプロデュースを行う。opus合同会社ではオウンドメディア支援事業として戦略策定〜コンテンツ制作をトータルに支援している。フォトグラファーやコンポーザー、DJとしても活動中。Instagram:https://www.instagram.com/ysk18r/ X:https://twitter.com/ysk18r URL:https://opus-inc.jp

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